KENICHI HONGOU 職業:会社経営
仕事は障がい者の子どもたちの教育の会社を経営しています。
コースからの成果は、ありのままの自分を受け入れ、その自分のままで人と素直に分かち合えるようになったことです。
今はこのように普通に話していますが、実は私は4歳くらいの時から重度の吃音障がいを持って育ってきました。吃音障がいというのは、読み書きは全く問題ないのですが、話すときに、流暢に話すことが難しく、ことばがつかえたりどもったりする状態のことを言います。僕の場合、ほとんど言葉がしゃべれませんでした。
ですから、仕事をするにも、接客がなく、なるべく話さなくても良いような仕事に限られ、それでも上手くいかないことが多々あり、何度も転職をしました。それでも自分のできることをやればいい、と前向きに生きていると思っていました。
コースを受けて発見したのは、自分はそんな自分のことを本当は責めて生きているんだなーということでした。それでも、自分の弱さを決して見せないように、人を寄せ付けず生きている自分が見えました。 もしかすると、もったいない人生をやっているかもしれないと思い、その思いを誰かと共有したいと思った時に、浮かんだのが私が吃音であることを一番心配していた。母親でした。
私が母親に初めて、素直に話をしたら、母親から28歳まで一回も聞いたことがなかったことを聞かされました。
「けんいち、あなたにはね、実は弟がいたのよと母親に伝えられました。そして弟が亡くなったタイミングと僕が急にしゃべれなくなったタイミングが全く同じ時期に重なっているということをその時に初めて聞かされました。
私は、その時の自分は子供ながら、なにかショックを受け、それによって話せなくなったのかな?と吃音の原因に思い当たったとき、ふと安心したと同時に、生きていることへの感謝と、このままの自分のことを許してもいいなと思えたのです。何か大きな重しが取れた瞬間でした。。
そして、翌日コースに参加した時は、自然と言葉が出てくるのです、自分でも驚くくらい、普通に話をしてる自分がいました。
それだけでも僕にとっては奇跡的なことだったのですが、
更に嬉しいのは、その後、話す喜びを知って、営業でも活躍できたのと、その経験も活かし、今では同じ言語の障害を持つ子どものために全国で公演をやったり、言語のトレーニングを行っています。自分の障害だと思っていたことが、今では逆に、自分がそのことで人に貢献できる仕事を手にしているというのは、本当に喜びと充実感があります。
障害があるないに関わらず、諦めていたのは自分であって、本当になんでも自由にやりたいことをやって良いんだということを掴みました。そして自分を活かして誰かに貢献できることがあるというのは、本当に幸せなことです。