Q:ランドマークエデュケーションとはどんな会社ですか?
ランドマークエデュケーションは、1991年1月に米国で設立され、サンフランシスコに本社を持つ世界的企業です。 教育訓練の分野で様々なプログラムやサービスを提供しています。また、非常に短時間でこれまでに例のない成果を創り出す独自の教育手法で知られています。
Q:ランドマークエデュケーションは何を提供しているのですか?
ランドマークエデュケーションは、個人や企業、組織、コミュニティ、公的機関向けの教育訓練プログラムやカリキュラムを提供しています。 ランドマークが提供するすべてのプログラムの土台がブレークスルーテクノロジーコースであり、それ以降の卒業生向けプログラムでは、日々の生活に関係の深い事柄やトピックを幅広く網羅しています。
Q:ブレークスルーテクノロジーコースからどんな成果が得られるのですか?
ブレークスルーテクノロジーコースは、参加者の人生の質、そして人との関わりや自分の家族、将来の経済状況、仕事での満足感といった大切な分野に、建設的で永続的なシフトをもたらすよう具体的にデザインされています。
詳しい成果についてはブレークスルーテクノロジーコースからの成果のページをご覧ください。独立調査機関の調査報告によれば、9割以上の参加者が『ブレークスルーテクノロジーコースは投入した時間と費用に充分見合うものだった』と報告しています。
Q:ランドマークエデュケーションは誰が所有していますか?
ランドマークエデュケーションの株式は現従業員および元従業員が所有しており、4%以上の株を所有する者はいません。
経営陣は、株主の投票によって選出された取締役会に対して報告を行います。 株主による取締役の選出は毎年行われています。
Q:ランドマークエデュケーションに対して肯定的な意見があると同時に、時に否定的な意見もあるのはなぜですか?
ランドマークエデュケーションのプログラムに参加をした多くの方々、また様々な独立調査機関による報告、アメリカでの大部分のマスコミなどによる報道は好意的なものですが、世界最先端分野の教育手法であるがゆえになじみがなく、ときに誤った情報が発表される場合もあります。 当社に対する思い違いや誤解は、これまで訂正され撤回されてきましたが、否定的な意見がひとりでに拡がることも事実です。 人は興味を引かれる新しい事柄が出てくると、そのことを話題にし始めます。そして自分なりの意見や評価・判断を組み立てていきます。 しかしそれが事実や調査に基づいたものではなく、人から聞いた話を鵜呑みにしたものである場合がよくあります。 時として『又聞き』や『又聞きの又聞き』をもとにしたまったくの個人的な解釈ということもしばしばです。その結果、正確ではない否定的な記事が生まれ、それが発表されることがあります。そしてこのことは、私たちランドマークエデュケーションにとっても課題の一つとなっています。コースに申し込まれる多くの方は実際にコースに参加をされた方からの情報を基に価値を見出し申し込まれます。 しかし残念なことに、そういった否定的な記事により参加を取りやめてしまうケースが時々あります。
ランドマークエデュケーションに参加をされた多くの方の意見、又実際に詳しく調査された多くの独立調査機関の意見は、事実に基づいた肯定的なものです。そしてそのことは、世界中で年間に12万人以上の方が私たちのプログラムに参加している事実からも実証されています。
私たちは当社に対する思い違いや誤解、否定的な記事があることを真摯に受け止め、個人や組織、社会により貢献できるような企業として成長し誰もが安心と信頼を持って参加できるような教育プログラムを提供していくことを目指しています。
Q:ランドマークエデュケーションの教育は宗教やセラピーのようなものですか?
ブレークスルーテクノロジーコースの内容、手法、進行方法、提供方法について、これまでに多数の精神科医、心理学者、聖職者、その他さまざまな分野の専門家による入念な調査研究がなされました。 そしていずれも、ランドマークエデュケーションが提供しているプログラムは、心理学やカルト、宗教、社会学的なものではない、という結論に達しています。 事実、調査を行った後、多くの専門家はランドマークとそのプログラムを全面的に支持しています。 例えば、アメリカで最も大きな心理療法医の協会である米国心理学協会の元最高理事のレイモンド・フォウラー博士は、1999年にランドマークフォーラム(日本でのプログラム名はブレークスルーテクノロジーコース)を調査し、詳しい研究の後このように言っています。「私の個人的意見としては、ブレークスルーテクノロジーコースはカルト(新興宗教)ではなく、またカルトと似たところすらない。「分別と責任感のある人なら、ブレークスルーテクノロジーコースが新興宗教であるなどとは言うはずがないと私は思います。」といっています。
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