トップページ > ブレークスルーテクノロジーコースの成果
家族の成果
家族のみんなにより深い愛情を感じるようになりました
山崎 智子 女性(54才) 職業:主婦
ブレークスルーテクノロジーコースを受ける前の私は、介護の必要な義父と不登校の息子をかかえ、やりたいこともあまりやれずに日々を暮らしていました。夫は、帰宅後や休日は、二階でずっと大好きなギターを弾いたり、パソコンをしたりで、なかなか降りてきません。階下では、私一人が忙しく家事や食事の準備をしている状態でした。自分の親の介護もまかせっきりで、手伝いもしないで、私にばっかり・・・とイライラしていました。
コースを受けて、今の自分のあり方は、私が欲しい温かい家庭作りと反対の方向に向いていることが分かり、帰ってから夫にもそのことを話し、謝りました。また、コース三日間、家のことをやってくれたことにも感謝しました。その上、二階にばかりいると寂しいことも伝えました。
こんなに素直に伝えられる自分が不思議でした。その時は、「そうか」といっただけの夫が、ある日、ギターを抱えてダイニングにきました。そこで歌い始め、私も一緒に大好きな歌を歌いながら料理を作りました。コース前と二人のやっていることは同じなのに、私のあり方が違っただけで、こんなに楽しい時間が過ごせることに驚いています。その他に今まで見えてなかった夫の優しさや大きさにも気づきだしました。家族のみんなにもより深い愛を感じるようになっています。
これがコースからの私の素敵な成果です。
コースを受けて、今の自分のあり方は、私が欲しい温かい家庭作りと反対の方向に向いていることが分かり、帰ってから夫にもそのことを話し、謝りました。また、コース三日間、家のことをやってくれたことにも感謝しました。その上、二階にばかりいると寂しいことも伝えました。
こんなに素直に伝えられる自分が不思議でした。その時は、「そうか」といっただけの夫が、ある日、ギターを抱えてダイニングにきました。そこで歌い始め、私も一緒に大好きな歌を歌いながら料理を作りました。コース前と二人のやっていることは同じなのに、私のあり方が違っただけで、こんなに楽しい時間が過ごせることに驚いています。その他に今まで見えてなかった夫の優しさや大きさにも気づきだしました。家族のみんなにもより深い愛を感じるようになっています。
これがコースからの私の素敵な成果です。
親父に感謝できる自分
鵜飼 航 男性(19才) 職業:大学生
僕のブレークスルーテクノロジーコースからの最大の成果は父親との関係です。
僕の父親はどんな人かというと、自己中な人です。自分の思い通りにいかないと気がすまないし、頑固で、何かとすぐ怒る人でした。僕はそんな父が怖かったしあまり好きではありませんでした。まるで一国一城の主みたいでとても逆らえませんでした。
だから、一度夫婦ゲンカが起こると僕にはどうしようもないし、とばっちりを受けるのはゴメンだとばかりに自分の部屋に閉じこもってケンカが収まるのを待っているという感じでした。
でもコースを受けている中でふと「あぁ、親父も一人の人間なんだなー」と思い父親の人間らしさをゆるすことができました。そして、一生懸命育ててくれていることに感謝がでてきました。
その後、コースが終わってからしばらくたってからまた夫婦ゲンカが起こりました。始めは「あぁ、またか」と思って部屋に閉じこもろうと思いました。けれども、なぜか自然に二人の間に入って仲介をしてケンカをやめさせていました。
ポイントは怖いと思っていた父親に対して自ら自己表現できたと言う事です。
僕の父親はどんな人かというと、自己中な人です。自分の思い通りにいかないと気がすまないし、頑固で、何かとすぐ怒る人でした。僕はそんな父が怖かったしあまり好きではありませんでした。まるで一国一城の主みたいでとても逆らえませんでした。
だから、一度夫婦ゲンカが起こると僕にはどうしようもないし、とばっちりを受けるのはゴメンだとばかりに自分の部屋に閉じこもってケンカが収まるのを待っているという感じでした。
でもコースを受けている中でふと「あぁ、親父も一人の人間なんだなー」と思い父親の人間らしさをゆるすことができました。そして、一生懸命育ててくれていることに感謝がでてきました。
その後、コースが終わってからしばらくたってからまた夫婦ゲンカが起こりました。始めは「あぁ、またか」と思って部屋に閉じこもろうと思いました。けれども、なぜか自然に二人の間に入って仲介をしてケンカをやめさせていました。
ポイントは怖いと思っていた父親に対して自ら自己表現できたと言う事です。
愛のある夫婦関係を手に入れました
米田 智 男性(43才) 職業:会社員
ブレークスルーテクノロジーコースやる前の夫婦関係はどうやったかと言うと、割といい関係で、他人からも、お似合いの夫婦やなと言われてました。
でも、家ではよく家内から、話聞いてるの?とか、全然話聞いてくれてないと言われてました。そして、家内から、「ちょっと、あんた!」と言われただけで“びっく”としている自分がいました。
コースの中で、自分は、愚痴や悪口を言うやつは、最低やと決めてる事を発見しました。だから、家内の言う事を何でも聞いている振りをして、子供がどうのとか、近所の人がどうしたとか、仕事場の人がどうしたとか言うことを愚痴や悪口として聞いていて、耳にフタをしていた事を掴みました。
家内の言う事をそんな風に聞いていた傲慢さを止め、新しく「家内全てを心から受け入れる」可能性をつくり、コースは完了しました。
そして、2、3日経った時、家内とめっちゃめっちゃ楽しく会話している自分がいました。家内の言う事は今まで通りなのですが、自分の聞き方がシフトしました。2ヵ月くらいに経って、又、家内と楽しく会話していると、家内が一瞬黙り、私の顔をじっと見ていました。そして、「今のあなた好きよ」と言ってくれたんです。結婚して、12年目で初めて言ってくれました。私も、恥ずかしかったですが、「俺も好きやで」と言って、本当に愛がそこにある夫婦関係を手に入れました。
でも、家ではよく家内から、話聞いてるの?とか、全然話聞いてくれてないと言われてました。そして、家内から、「ちょっと、あんた!」と言われただけで“びっく”としている自分がいました。
コースの中で、自分は、愚痴や悪口を言うやつは、最低やと決めてる事を発見しました。だから、家内の言う事を何でも聞いている振りをして、子供がどうのとか、近所の人がどうしたとか、仕事場の人がどうしたとか言うことを愚痴や悪口として聞いていて、耳にフタをしていた事を掴みました。
家内の言う事をそんな風に聞いていた傲慢さを止め、新しく「家内全てを心から受け入れる」可能性をつくり、コースは完了しました。
そして、2、3日経った時、家内とめっちゃめっちゃ楽しく会話している自分がいました。家内の言う事は今まで通りなのですが、自分の聞き方がシフトしました。2ヵ月くらいに経って、又、家内と楽しく会話していると、家内が一瞬黙り、私の顔をじっと見ていました。そして、「今のあなた好きよ」と言ってくれたんです。結婚して、12年目で初めて言ってくれました。私も、恥ずかしかったですが、「俺も好きやで」と言って、本当に愛がそこにある夫婦関係を手に入れました。
父との関係に違いを作りました
山口陽子 女性(45才) 職業:コミックス編集者
私は父との関係に違いを作りました。
コース参加前の私は、当時87歳で田舎に暮らしている父と話すとき、「帰ってこい」と言われると自動的に「俺達の面倒をみてくれ」と聞いていて反発することがありました。
コースで「私は話してもいないし何も聞いてないのかも」と気づくことができ、父に自分の今の状況(当時転職活動中)を話したところ、「お前を心配しているよ」ということが初めて聞こえてきました。
それから私は家族の応援を得て、現職に再就職することができました!
コース参加前の私は、当時87歳で田舎に暮らしている父と話すとき、「帰ってこい」と言われると自動的に「俺達の面倒をみてくれ」と聞いていて反発することがありました。
コースで「私は話してもいないし何も聞いてないのかも」と気づくことができ、父に自分の今の状況(当時転職活動中)を話したところ、「お前を心配しているよ」ということが初めて聞こえてきました。
それから私は家族の応援を得て、現職に再就職することができました!
子供と一緒にいて、一緒に同じ世界を楽しめる自分がいる事に気づいた
手嶋恵太
私は育メンです。子供が3歳の時にコースを受けました。産まれてからずっーと一緒で、できるだけ「だめ!」とか「こうしろ!」という事を言わないできていたのですが、そろそろ人間としての躾も必要だな…そんな時期でした。コース終了後、子供をなんとかしようという自分ではなくて、子供と一緒にいて、一緒に同じ世界を楽しめる自分がいる事に気づいた時は、子育てができることの素晴らしさに感動して、泣いてしまったくらいでした。子供の躾?子供は元々、素晴らしく素直で可能性に満ちています。躾をするというよりも、愛のある対話をする関係であれば充分だという事を知りました。
35年ぶりに母の愛を取り戻しました!
中野司津子 女性(42歳) 職業:調剤薬局事務
コースに参加してから約7年経ってやっと母をセンターの(チャリティー)イベントにご招待し一緒に参加した時の成果です
イベントに参加するまでの私はずっと兄弟と違い私だけが母に愛されていないのかもしれないって母をバカにして無視して生きていました。考えてみると、私が母をバカにしていたのは子供の時に父親に怒られている私を助けてくれなかった時に、この人(母)は弱いんだって決め、この時に私だけ愛されていないんだ も決めていたからだと母と一緒にイベントに参加して明確になりました。
今思えば悪いことをして怒られているのですから助けてくれるはずないんですけどね
母が来てくれたことに、私はあまりにもうれしくて、はしゃいでいろんな人に母を紹介していて、そのことにも自分で驚きましたがありましたが、母も「お母さんです」ってみんなに挨拶していて、この母が私を愛していないなんてないなぁと実感し、本当にうちの母が一番と、母の日の前日に思いました。
母と分かち合えたことの喜びで今は溢れています。
イベントに参加するまでの私はずっと兄弟と違い私だけが母に愛されていないのかもしれないって母をバカにして無視して生きていました。考えてみると、私が母をバカにしていたのは子供の時に父親に怒られている私を助けてくれなかった時に、この人(母)は弱いんだって決め、この時に私だけ愛されていないんだ も決めていたからだと母と一緒にイベントに参加して明確になりました。
今思えば悪いことをして怒られているのですから助けてくれるはずないんですけどね
母が来てくれたことに、私はあまりにもうれしくて、はしゃいでいろんな人に母を紹介していて、そのことにも自分で驚きましたがありましたが、母も「お母さんです」ってみんなに挨拶していて、この母が私を愛していないなんてないなぁと実感し、本当にうちの母が一番と、母の日の前日に思いました。
母と分かち合えたことの喜びで今は溢れています。