田中夕紀子 女性 ピラティススタジオ・アカデミー経営
私はブレークスルーテクノロジーコースを受けて、どんな人も受け入れて向き合うことが出来るようになり、会社組織が拡大しました。
私はピラティスのスタジオ・アカデミーを経営しています。いつも相談をしている先輩から「セミナーを受ければ解決するよ」とキラキラした表情で紹介され、受講しました。
セミナーでこれまでの人生を探求し、「人に合わせて演じていれば全てがうまくいく」と思い込んで生きて来たことが、セミナーの3日目でわかりました。私が3歳のときに妹を人形で殴り、鼻血を出しているのを見て、「死んでしまったらどうしよう」と、とてつもない恐怖を感じ、もう二度と怒りをぶつけることはしないと強烈に誓ったことを思い出しました。
それ以来、怒るような場面でも、表現の仕方も忘れてしまっていて、フリーズしていました。起業して10年チャレンジしてきたものの、どこか頑張りきれていない中途半端な自分に限界を感じていましたし、仕事も社員に対しても、家族に対しても本気では向き合っていない私がいることにも気付き、ずーっと引っかかっていた過去と向き合い始めました。
15年前に私は仲間内のソフトボール大会中の事故でバットが飛んできて頭蓋骨7箇所骨折、右眼を失明しています。裁判の末700万円を月々4万円ずつ加害者が支払うことになっていたのですが、半年たった頃に滞り、連絡がつかなくなりました。その当時は、酷いなと、信じられない気持ちになりましたが、向き合わずにずっと相手のせいにして諦めていました。
しかし、ここで向き合わないと何も変わらないと思い、加害者の方の連絡先を調べ探し出し、勇気を出して電話をしました。
「15年前の田中夕紀子です。」と伝えると、「すみませんでした!」とすごい勢いで謝罪を受け、加害者の方にとっても人生の大きな気がかりであったことがわかりました。
そして、「実は私にとってはこの事故がきっかけでリハビリとしてピラティスに出会い、起業して、今は沢山のスタッフに囲まれています。このことは人生のターニングポイントで、右目は見えないけど幸せに生きていて、とっくに許しています。700万円ももうお支払いしなくて大丈夫です。」と伝えました。
すると、「よかった」と泣いていて、相手の中に、申し訳なさがあったことも初めて知れました。話をするうちに、やはり、この事故がきっかけで今の私があるという思いが確信になり、ずっと引っかかっていたことから解放され、全てを許して前進していけると思えました。
それ以降、スタッフとの向き合い方も全く違うものになりました。これまでできなかった、怒りすらも伝えて泣きながら本心で話し合えるようになりました。すると、助けてくれる、頼もしい経営陣が増えました。そして現在、セミナーを受ける前からは倍以上となる16店舗になり、アカデミーの事業ではピラティス業界としても良い評価を受け、参加希望者が絶えない、毎年100名以上のインストラクターを輩出するチームになっています。
それにも関わらず、私は働く時間が半分くらいになって、さらには、右目が見えなくなってからできないと決めつけていたスポーツも楽しめています。
誰とでも向き合え、本当の意味でどんな人でも受け入れられる豊かな人生になったことがとても大きな成果です。